流木のうた
ストーリー
僕は時々、ダム湖に流木を拾いに行く。
木工をはじめ、いろんな物づくりの仲間たちと一緒に。
よく晴れた日ならばとても気持ちよく、山奥の川沿いの道、急斜面を下り、谷底から見上げる緑の、紅葉の、冬枯れの、斜面。
ダム湖のほとりは一面流木で埋め尽くされている。
その見渡す限りの風景を、宝の山と見るか、ゴミの山と見るか。
知り合いの弾き語りのミュージシャンが歌う、流木のうたを思い出す。
彼は、拾われたら芸術、拾われなければただのゴミ、流木に人間社会を、 自分自身を投影したメッセージを歌っていた。
ひとりひとり、袋を下げ、流木を拾う。
面白い形のを見つけるとうれしくなり、仲間にこれどうだ、なんて見せあったりする。
そんな拾った瞬間の、宝物を見つけたような感動を、形に定着させたいと思った。
袋詰めにされて家に持って帰ってくると、なぜか、その宝は輝きを失ってしまうのだ。
ある人はそれに手を加え、削ったり、組み合わせたり、別の物に変換することがその後の処理としては主流である。
しかし、僕はそれをしたくなかった。
流木が落ちていたときの状態でなければ、あの時の感動とは別の物だからだ。
あれを人にどうにかして伝える作品はできないものか、ただそのものをじっと眺めていられる装置。
そういう思いからできたのがこの作品である。
木への想い、流木という木における野生。
SIGNの家具を注文してくれた方に、受け取ってもらえるなら、プレゼントする、おまけ。