ダイニングテーブルとなる前に
2011 年 8 月 25 日 by SIGN
朝からさっと仕上げのペーパーがけをし、脚部と天板の組み立てをした。
テーブルとして当たり前のデザインではあるが、こうして見るとなにか読むべきものがあるような気がする。
オーダーメイドの家具にはない、最近の、僕から出てくる形にはどこか柔らかいというか、強い主張はなく優しいような、弱々しいような空気が漂っている。
自分で言うのもなんだけど。僕だってこのテーブルに出会うのは今日が初めてなんだから。
作品が感情に左右される、これが個性?
デザインは情報、伝達手段、と言いつつ自分が知らず知らずに書き込んだ物語に気付いていなかったのか。
僕とは、流行に関心がなく発想も平凡で、優しく弱々しい。と書かれてある。
午後から一回目の塗装をした。
私などは、絶えず自分自身を観察し続けていますが、ある時期に、どうやら私は他者達と比べても随分とカラッポな人間であると結論づけざるをえませんでした。だから、あらゆるモノを飲み込もうとしてしまう。
仮に弱々しさであったとしても、それで満たされているのならカラッポよりは遥かに上出来。
正にそれこそがオリジナリティー、霊感など必要としない力です。
ありがとうございます。
しかし自分ではそれでいいのかと思っています。
それは僕が写真家にならなかった理由として、同じようなものを自分の写真から読み取ったからです。
手段が変わっても同じことをやっている。
当たり前のことなんですね。