毎年後期の授業として家具製作を教えに行っている畿央大学からお呼びがかかり行ってきた。
その授業の担当の準教授の先生が頼みたいことがあるという。それはあの有名なリートフェルトの椅子を修理してほしいということと、ご自分の研究としての椅子の製作を依頼したいということだった。
デザイン学科の資料としてその大学には歴史に名を残す名作と呼ばれる椅子がコレクションとしてあり、エントランスホールにずらっと並べられている。それらはただ展示されているだけでなく、その準教授の先生の方針で学生が自由に触れ、座れるようになっている。まあ本当は見るだけという体裁ながら、誰が監視しているわけでもなく、それをそこに展示したのはその先生で、その先生が何も言わなければだれも咎める人はいない。それらの椅子の価値を一番理解している人が「それでも触りたいやつは触れ、座りたいやつは座れ」と考えているのだからそれでいいのだ。
しかし学生のことだから扱いが雑なやつもいて、傷が付いたり汚れたり、そして今回ついに破損してしまったので修理ができないかと相談されたのだ。そうは言ってもやはり何十万もする椅子たちであるから。
そんな話と先生の研究のための椅子の概要をお聞きした後、研究室を出て玄関前へ。この新年度にあわせて学校のモニュメントが完成したのだ。そのモニュメントはその先生がデザインを任されたものだった。
この大学の「健学の精神」が刻まれた石碑とそれをデザイン化したオブジェだった。しかしその説明をご本人から聞いていると、どこまでが仕事でどこまでがアートでどこまでが遊びなのかわからなかった。学長から直々に依頼があってしたことでありながら、話を聞いていると全部が遊びのようにも聞こえてきておかしかった。構造や材質に関することはさすがにプロの仕事を感じさせるのだけど、それをアートに変換する時点でふざけて、いや楽しんでおられるようで。
三つの精神を表す金属製のアーチ。その一番背が高いのは「美の精神」を表していて、そのてっぺんから不思議な糸が一本垂れている。
どこかから飛んできて引っかかったようにも見え、何かの手違いで外し忘れたゴミのようにも見えるこの糸は、他の部分の硬質なイメージからあまりにも違和感がある。
しかし先生が言うにはそれがこのモニュメントの一番重要な部分であるらしいのだ。
「モニュメントなんてつまらない。除幕した瞬間がモニュメントの死だ。」と言う先生は、自然に勝るデザインは存在しないとも言われ、このたよりなげに風に揺れている糸が作り出す連綿と移り変わる線の造形こそが真のモニュメントであり、今後このモニュメントが生きていくための装置であるということだった。
うーんなるほどと思いつつも、モニュメント自体はそれをメインに感じさせるバランスではなく、ほんとに取って付けたような糸の存在感。かなりの反対があったとおっしゃってはいたが、まるで「○○参上!」の落書きのような本人のしてやったり感がおもしろい。
写真を撮ろうとすると、「そんな人間が作ったカメラ如きに写るはずがない」と言われたが、確かに何度シャッターを切ってもその瞬間の形や動きは写せなかったし糸すらも写らなかった。(ということで一番テキトーに写した一枚をアップすることにした)
今日の出来事に関する僕の感想は、ああうらやましい。
「モニュメントなんてつまらない。除幕した瞬間がモニュメントの死だ。」
面白い。
この先生、出会った頃から年々面白くなってます。最近はとくにのびのびやっておられるなあと。
くやしいな。たしかに「カメラごとき」なんだけど。
でも、たまーにすごいものが写ったりすることもあるので、「されどカメラ」なんですね。
この記事に関する僕の感想は、一流の人と仕事ができるSIGNさんが、ああうらやましい。
やっぱりその場で感じている移ろいゆく時間は記録できません。写真はね。だからこそいろいろ工夫するんですけど。
うらやましがらないでください、儲かってりゃ自慢もできるんですが。
モニュメントなんて序幕する前から死んでると思います。
様々な制限があるのが写真の魅力と可能性。写真には初めから真は写らない気がします。ことばが本質を追いつめればつめるほど、それに追いつけなくなるのと同じですね。
「周囲のかなりの反対を押し切れる実績」が、上から目線の物言いを裏付けているんでしょうが、「アートの実績ってなあ」と訝る私がおります。元金メダルの体育学部教授ほどわかりやすくないのが胡散臭いです。
除幕したとたん人々の関心が薄れ、あってもなくてもいいようなものになってしまうという意味でした。
モニュメントはそうでも風に揺れる糸は見ていて飽きない。
実績より人だと僕も言いたいですけど、これに関してはこれも教育だなあと思いました。
その先生が言いたげなことはわかりますよ。それは、関心を持続できない凡人が悪いのでしょうか?モニュメントというモノの性質のせいでしょうか?作り手の問題でしょうか?
自分の仕掛けた糸が風や自然への意識を喚起させるものであるという言い方をしていますが、除幕の式典が終われば撤去する勇気の方が、そんな糸よりも大事でしょ。彼の言ってることが本気なら。
またまたー、はいのはいのはいー。