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この声

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2020年を振り返り »

この声

2020 年 10 月 31 日 by SIGN

自分の声を意識したのはいつからだったか。
昔、自分の声が嫌いだった。

人と話すのが苦手だったわけではなかったが、あまりお喋りでもなかった。
声変わりをした中学生の頃に、思いのほか低くなった僕の声を、見た目に反して違和感があるとクラスメイトの女の子に笑われたのがコンプレックスになったのか。
人を楽しませる会話も得意じゃないし、お喋りを楽しむような場は苦手。僕の言葉が原因で友達を怒らせたこともあり、自分はきっと無神経なんだと思うようになった。
声も変だし、言葉も上手く使えない。話すのが嫌になり、話すことができなければ気持ちも伝えられず、その時好きだった人との距離は縮まらなかった。
どちらかというと同年代よりも年上の人と話す方が好きだった気がする。
教えるのが上手いね、と言われたのは高校の頃だったか。
日常会話が下手なくせに、気持ちを伝えるのが苦手なくせに、知識や考えを伝える能力はあったようだ。
その時漠然と自分は教員になりたいと思っていたから、その褒め言葉は励みになった。

教員になりたかった理由は、その時自分が求めていた先生になりたいと思ったから。
僕は今まで先生と呼ばれる人との関係は薄く、その人を中心とするクラスや部活や学校に思い出は少ない。
派手な行動もしなければ、優等生でもない、手のかからない生徒にも悩みはあって、それに気づいて寄り添う大人は少ない。
だから僕は、誰もがあの先生と話したなと思い出されるような、一人一人と契約を結ぶ教員になろうと思った。
お喋りが下手なことを振り返らなかったのはおかしいけど。

その後、僕は中学や高校の先生にはなれなかったけど、写真の専門学校で教員をし、木工家をしながら子どもたちに工作を教え、職業訓練校の指導員もした。
思っていた先生像を意識しながら生徒と接しつつ、一応教員として良い評価はいただいていたものの、なぜか、授業の内容より喋り方や、声が良いと言われることが多い。
まさか、喋ることが仕事になるとは思ってなかったし、自分がだめだと思っていたところを良いと言われると、自己評価で悩んでいたのは何だったのかと思う。

指導員を辞めれば話すこともなくなり、今となっては自分でも少し気に入っているこの声の、新たな使い道は見つかるだろうか。

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