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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

あなたが持つもの

僕が作ったもので、あなたが持つものが、あなたの心を動かすものであって欲しい。
それも心の深いところに作用し、性能や機能や見た目の造形やそれを説明する言葉によってではなく、それを使った感想ではなくて評価ではなくて、他の感情や記憶を思い出させ、出来ることならあなたにとってかけがえのないものになって欲しい。
時にそれが誰かの代わりになり、その存在が空気を変え、時間を豊かにするような、体がそれに触れることを欲するような家具を作りたい。
それが、僕にとってのスタンダード。かなり難しい基準線。
だけど、誇るならそれを誇れる作り手になりたい。

2020年を振り返り

2020年は今までにない大変な年でした。
コロナの影響で辛い思いをされた方も多かったと思います。
しかしここで個人的な話をさせてもらうと、振り返ってこの年の始まりは幸せに満ちた喜びから始まりました。
自分にとって新たな一歩を踏み出すきっかけが与えられ、変化というより自分という物語の進展を予感させる呼びかけ、言葉をもらい、迷う事なく選びました。
未曾有の事態から、世の中では人との距離を意識するようになり、当たり前と思っていたこともできなくなりましたが、僕にとっては本当に大切なものや人について気づくこととなり、むしろそれについて考える時間は増えたと思います。
また、この状況下で今年はたくさんの人に新たに出会い、今までお付き合いのあった人ともさらに繋がりを深めることもできました。それも今後重要となっていくであろう関係です。
それに関してはこの年の瀬に感謝でいっぱいです。
「見える距離は離れ、見えない距離は縮める」ある建築家が言った言葉です。それは建築設計において語られた言葉ですが、僕はこれを人間関係に置き換えて感じています。
この言葉は前と後が対比となる状況を説明しているのではなく、同時に満たそうとする能動的な心の行動であると思うのです。
言葉や、時間や場の共有や、当たり前と思っていたコミュニケーションの方法は見える距離。
それに対して態度や接し方、ものごとの取り扱い方は見えない距離。
心の中で思っている事を、本当のことを相手に知ってもらうにはどちらでしょうか。伝えることを意識して距離感を持つ必要があるように感じます。
また、相手のことも言葉ではなくその距離感を持って読み取り、理解する感覚が必要なんだと思います。
来年はまた自分がものづくりに復帰することになり、何をすべきかと思い巡らせる中で、今年は多くの大切なことに気づかせてもらえた気がしました。
SIGNとして考えてきた、関係から生まれるものを意識しつつ、そしてPROPでは対話から生まれるものを大事にしていきたい。
今まで見守ってくださった皆様、僕がどうなるのか、これからも引き続きよろしくお願いいたします。

寒さ厳しい大晦日となりました。お体ご自愛の上、良い年をお迎えください。

この声

自分の声を意識したのはいつからだったか。
昔、自分の声が嫌いだった。

人と話すのが苦手だったわけではなかったが、あまりお喋りでもなかった。
声変わりをした中学生の頃に、思いのほか低くなった僕の声を、見た目に反して違和感があるとクラスメイトの女の子に笑われたのがコンプレックスになったのか。
人を楽しませる会話も得意じゃないし、お喋りを楽しむような場は苦手。僕の言葉が原因で友達を怒らせたこともあり、自分はきっと無神経なんだと思うようになった。
声も変だし、言葉も上手く使えない。話すのが嫌になり、話すことができなければ気持ちも伝えられず、その時好きだった人との距離は縮まらなかった。
どちらかというと同年代よりも年上の人と話す方が好きだった気がする。
教えるのが上手いね、と言われたのは高校の頃だったか。
日常会話が下手なくせに、気持ちを伝えるのが苦手なくせに、知識や考えを伝える能力はあったようだ。
その時漠然と自分は教員になりたいと思っていたから、その褒め言葉は励みになった。

教員になりたかった理由は、その時自分が求めていた先生になりたいと思ったから。
僕は今まで先生と呼ばれる人との関係は薄く、その人を中心とするクラスや部活や学校に思い出は少ない。
派手な行動もしなければ、優等生でもない、手のかからない生徒にも悩みはあって、それに気づいて寄り添う大人は少ない。
だから僕は、誰もがあの先生と話したなと思い出されるような、一人一人と契約を結ぶ教員になろうと思った。
お喋りが下手なことを振り返らなかったのはおかしいけど。

その後、僕は中学や高校の先生にはなれなかったけど、写真の専門学校で教員をし、木工家をしながら子どもたちに工作を教え、職業訓練校の指導員もした。
思っていた先生像を意識しながら生徒と接しつつ、一応教員として良い評価はいただいていたものの、なぜか、授業の内容より喋り方や、声が良いと言われることが多い。
まさか、喋ることが仕事になるとは思ってなかったし、自分がだめだと思っていたところを良いと言われると、自己評価で悩んでいたのは何だったのかと思う。

指導員を辞めれば話すこともなくなり、今となっては自分でも少し気に入っているこの声の、新たな使い道は見つかるだろうか。

ある時、自分が好きになれるものが見つかって、それが自分にとってとても大事なものに思えて、その事を常に考え追求し、どれだけ時間を費やしても苦労をしても疲れなくて楽しくて、周りからも認められ、自分はこのために生まれてきたのだとさえ思い、どんどん抱えていくうちに、いつからか、ふとその重さに耐えていることに気づき、無限に積み上げられると思っていたものが、その高さを維持しようとすることによって何かが堰き止められていると感じるようになると、ある時、それを手放したくなる。
手放すと確かに楽になり、やはり手放すべきだった、手放す事が大事だったと自分の判断を肯定したりもするのだけれど、またある時それを手にする時が来て、それに触れた時にその価値とそれが自分に与えてくれた幸せと自分が持つことでしか生まれない現象の唯一性を感じ、問題は自分の許容量でしかなかったことに気づく。

量に関することには気をつけたいけど、好きになったら大事なものの量なんて正確には計れない。

SIGNの新春写真茶話会2020

SIGNの新春写真茶話会を開催します。
開催日は、
1月25日(土)
13:00〜17:00
です。

昨年新たな試みとしてスタートしたSNS茶話会でしたが、アップされた写真は400枚を超え、参加した皆さんは色々感想をお持ちだと思います。
それらを持ち寄って写真について語り合いたいと思います。
日常の写真から生み出される作品の意味を僕自身日々感じています。
ご参加お待ちしています。

地図に印を付けたい衝動

新年明けましておめでとうございます。

このブログを読んでいる人が今どのくらいいるのか分からない。
一体誰に向けて書いているのか分からないけど、独り言のように、また書き始めようかと思っている。
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昨年は自分でも戸惑うくらい自分自身の衝動を感じた年だった。
ここ数年はある意味安定期だったのかもしれない。もちろんその時ごとに悩みも喜びもあって、周囲に翻弄される日々でもあった。しかし、僕はここに置かれたということを受容していたから、そこでの存在意義にのみ注意を払い、自分の役割を果たすのみと考えていた。だから、振り返って自分の日常や将来のこと、人間関係、明日どうするかといったことにあまり興味を持たず、いや、何も考えずとも自動運転で生きていけるような信頼感すらあったのだ。
それが、ある人との出会いや、写真ともう一度向き合おうとしたことや、自分がもう一度家具屋をするという話が持ち上がってきたことをきっかけに、自分自身にまた目を向けることになった。
まだ僕には感情があり、欲求があり、生きてきた過去があり、将来を思い悩む思考能力もあり、可能性や希望や夢を思い描く力も残されていた。心もあった。
それと同時に気づいたのが、今の自分の希薄さだったのだ。その希薄さを恥ずかしくさえ思った。

今、僕は衝動を感じている。
出会いや新たな道の提示に希望を感じて、ただひたすらそこに向かって走りたい。それにしか時間を使いたくないほどに。
それが正しいのか間違っているのかも分からない。最善かもしれない、これは善悪を知る知恵の実なのかもしれない。
新年は、そんな衝動を持つ苦しみから始まった。
タイミングが悪すぎて面白い。
今まで経験したことのない感覚の元旦だった。

何かと忙しい10月。
レギュラー参加者と僕との予定が合わず、見送りということになりました。
再会してすぐお休みというぐうたらな状況に見えますが、9月の再会で実は新たな試みを提案しまして、以来SNS上でのフルタイム写真茶話会をしています。そのためか、まあ一回くらい見送ってもいいかといった雰囲気で、今までのサボってたのとはちょと違います。
そこでは僕も参加者として写真を撮ってアップしているんですが、これがなかなかつらい作業だということに気づき始めました。
毎日撮ることや、見せることを続けていると自分で自分を写真から読むことになり、読んだ自分にまた影響を受け、どんどん深まっていく。
今まで参加者には当たり前のように写真を持ってくるよう言ってきたのに、そんなことを僕はみんなにさせていたんですね。

新しい時代の写真のあり方を探る試みが、実は写真が求めた本質に近づく作業であるかもしれない。
思いつきでしたが、意味深い企画になりそうです。

そして月例の写真茶話会ではその振り返りをし、そこからどんな作品が生まれてくるか、各々が何に気づいていくかを見ていきたいと思います。
SNSに参加してみたい人もまずはリアルで参加してみてください。

写真茶話会再会

さて、何から話せばいいのだろうか。
2年も休んでいた理由。
また再開する理由。
どちらもきちんとここで伝えようと思っていたのだが、再開を発表してから今日まで、実はまだ整理がついていない。
これを読んでいる人がいるのかさえ、再開を宣言したところで誰が来るのかもわからない。
理由の説明を期待する人がいるなら、申し訳ないけど当日話そうと思う。
ただきっかけは明らかで、友人が見て欲しいと持ってきた写真によって写真と再会したからだった。
写真なんて日々の生活の中で当たり前のように膨大な量を見ていると思っていたのが、見方が違えば何も見ていないのと同じというくらい、感覚を麻痺させていたことに気づかされた。
視覚からなだれ込んでくるその写真が持つ情報量。
撮影者でさえ気づいていない、意識することで見えてくる画面の奥に秘められたもの。
写真茶話会を休んでいた間、いや茶話会で写真を見られなくなってきた頃から失われていた感覚を自覚したのだった。僕はずっと見えていなかったのだと。
しかしそれに対して後悔はなく、その原因となったものに恨みもなく、奪われなかったその感覚器官を喜ぶことだけだった。

どこにも宣伝していないので、まじないのように工場に写真を飾ってみた。
9月29日(日) 13:00から
参加者が一人でもやる、それが茶話会のルール。

長らくお休みしていた写真茶話会を9月から再開したいと考えています。
スタイルとしては今まで通り月一回のペースで、写真集、もしくは写真展を目標とした合評形式の作品指導です。
お待ちいただいていた方、新たに参加を考えている方、よろしければご連絡ください。

再開の経緯、想いなど、ブログのほうで書いていきたいと思っています。

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桜が満開になった日、近所をベスパで散歩ツーリングした。
こんな時、ゆっくり走れるベスパは最高の乗り物だ。降りた時の絵になる姿もいいな。
走っているときは桜並木に歓声をあげていた娘も、停まって降りると道端に溜まった花びらのほうが気になるみたいで。
手のひらいっぱいに集めた花びらをベスパに振り撒いて、桜吹雪を楽しんでいた。

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そろそろ春のツーリングシーズンだ。
SRXに取り付けてあったスマホホルダーやUSB端子をGSに移植しようと思い、取り外しにかかった。
SRXは純粋に走りを楽しむためのバイクに、GSはツーリング用に住み分けしようと思う。
久しぶりに見るSRXのこの姿。
タンクを外しただけなのに、ワクワクする気持ちが蘇ってきた。
ガソリンの匂い、真っ黒になる指先、転がす工具の金属音。
久しくただの喫煙所と化していたSIGNの工場が、
冬を越し、
やっと息を吹き返したような。

なぜ忘れていたの。いやそれも、もう忘れてしまったよ。

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最近バイクに乗らなくなっていた。
仕入れてからコツコツ外装のリフレッシュをしてきたGSも、いざ乗るかとなると気分が重かった。
今までどんなに他に削がれることがあったとしても、バイクだけは自分の軸として存在していたはずなのに。
あの日以来自分を信じることをやめ、与えられることを頼りにただ受け入れ、求めることさえ関心がなかった。
しかし、奪われ続けることや自分の力を問う誘惑に晒され続けることは確実に消耗することだった。まさか、バイクに対する熱まで冷めるなんて予想もしてなかったが。
車で行くかギリギリまで迷って、今日はGSで行くことにした。
知り合いの福祉施設の主催でイベントが開催されるのだ。
木工を指導している彼もバイク乗りで、毎年ラリーに出場するほどのバイク好きだった。
僕がビッグオフに踏み切ったきっかけも彼で、愛車はヤマハのテネレ。一緒にラリーに出ようと前から誘われていた。
今日も会うとその話になったが、まだそこまで僕の気持ちがついていかない。ほぼ初めて乗るのに近いGSの感触を、行きの高速で探っている段階。
GSの高速安定性と、OHVフラットツインの振動は優しかった。
憧れていたバイクだったけれど、正面から向き合って好きだと告白できるほどまだ知らない感じ。そんな距離感を味わいながら奈良の道を1日走り回った。
彼のイベントに参加するという、今日本来の目的が薄れてしまうほどに。
イベントはそう、プロップスフェスティバルを思い出させた。
しかし彼はこれを本業の仕事としてやっているのだ。そんな生き方もあるんだな。
知的障害者の就労支援施設でありながら、しっかりした技術で公共の家具什器の仕事も請け負い、最近このイベント会場である旧幼稚園を借りて地元の小学生の放課後デイサービスも始めたらしい。
そしてこのイベントは地域とのつながりという意味もあり、村の人や天理大学の学生もそれぞれ一役担っている。
彼のまっすぐな眼差しは、明確なベクトルを持ち、前へ、前を向いて生きていく確信とともに。
イベント半ば、走りたくなってきたので彼に別れを告げ、またGSで走り出した。

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久しぶりの十津川村へmotoSIGNツーリング。
目指すは国道168号沿いにある「デコイ」。そこの名物のインドカレーを食べに行く。
ここから2時間くらいの道のりだ。
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待ち合わせは下市町の保健所前。
今日はこのヤマハ車3台で出発。
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谷瀬の吊橋より数キロ南に行ったところにあるデコイ。
インドカレー辛さ10倍を注文した。うまい!(日本人的解釈のインドカリー)辛さも10倍でちょうどいい感じ。
食後にサイフォンのコーヒーもいただいた。
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カレーに満足した後、国道から少し入ったところにある村営の木工所を見学させていただいた。
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農林課の方に案内してもらいながら、今後の計画なども聞かせていただいた。
なんと年内にカフェギャラリーがこの工場の横にできるとのこと。
楽しそう、に聞こえるこの事業はやはり村産材利用に関することで、十津川家具プロジェクトの一環だった。
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その流れで森林組合の新しい製材所も見学させてもらった。
設備も製品管理も現代的で万全。木工所もそうだが公的なものだからこそできるのか。
十津川材のほとんどがここで乾燥から製材までされて出荷されるという。
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その前を流れる川、その両側にそびえ立つ山に挟まれた谷あいの村。
下流でよく見る河原でバーベキューはなく、美しい水の流れる雄大な景色の中に人影すらない。
ここが奈良だと思うと多少不便に感じる。
しかし、
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帰りの大塔村の道の駅で休憩。
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あちこちで修復中の道路では、ところどころ交互通行になって渋滞。
トンネル内でストップ。
結構な時間足止めをくらう。

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トンネルを越えれば快走で、下市まで一気に走り解散した。
僕がこんな仕事をしているからか、今まで谷瀬の吊り橋しか知らなかった十津川村の見え方が少し変わった。
ワンデーツーリングにちょうどいい距離、つまりそこそこ遠かった距離が、なんとなく近づいた気もする。
通えるか、っていうとちょっと現実味はないけど。

記念きねの修理

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近所の小学校の教頭先生から杵の修理を頼まれた。
その学校では毎年子どもたちが田んぼに餅米の苗を植え、秋に収穫した後その米でお餅をつくという授業がある。
そのための杵は古くなっては新しいものがPTAから寄付され、今では11本になっていた。
臼は石臼で、しっかり餅を狙わないと杵の方が磨り減ったり割れたりして、最近ではその削れた木屑が餅に入ってしまい困っていたそうだ。
また購入すればいいのかもしれないが、悪くなっているのは先端だけなのでもったいない。材を見ると杵はケヤキやカシで柄は朴のようだ。
そこでこれを削り直して使いたいということだった。
近くにある家具屋さんで木工家として協力を依頼されたのだが、現在SIGNは休業中、無料ならやりますよと引き受けた。
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見ると、割れているものはそこまで削り取る必要があり、ささくれは先端を切り落として、
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修理というよりほぼ作り直しという感じ。
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旋盤で作られたものだったが、どうせやるなら鉋仕上げしたほうが長持ちするかもとやり始めたのだが、それが結構大変な作業。
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ケヤキは刃の掛かりも良くて削りやすかったが、
4本目あたりで旋盤にすればよかったと後悔し始める。
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切断は手鋸、先端をノミと鉋で丸めて、
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はいできあがり。×11
実際に餅をついたら違うだろうか。

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僕のバイク歴で初めてのレーサーレプリカ、といっても30年前のTZR1KTで、僕が高校生の頃買えもしないのにTZRかNSRかなんて悶々と悩んでいた頃のバイクだった。
バイク雑誌を読み漁ってはどんな乗り味なのか妄想にふける日々。
それを今手に入れることになるとは考えもしなかったこと。
今の時代バイク乗りにとっては本当に恵まれてると言ってもいい。
出てくる中古車は程度の良いものが多く、何十年も前のバイクが現存しているということはそれなりに手を入れ大事にされてきたということかもしれない。
それをまたネットで全国から探し出して、格安の陸送で手元に届くシステムなんていったい誰が考えたのか。

あの頃の自分に教えてやりたい。1KTは素晴らしいバイクだと。
こんなに楽しいバイクだったのか。よくこんなもん作ったな。

やっとエンジンがかかるようになり、いつものコースを何周かテスト走行してみた。
タイヤが温まってきて少し攻めてみると、250というのを忘れるくらい安定した、自由自在なハンドリングと加速性。
当時カテゴリーを超えて楽しめるバイクを作ろうとしたヤマハの思いを感じるバイクだった。
その後加熱するレプリカ戦争ではホンダの勝利だったかもしれない。
だけど、どちらも時を経て、めまぐるしく過ぎ去るものを追いかけるような日々は終わり、性能云々ではなくどちらに乗りたいかを冷静に選べる時代となった。

いやあ、走るようになってよかった。一時はどうなることかと。
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キャブの詰まりとバッテリーも死んでいて、ついでにプラグも要交換。
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要は原因は古さ。
詰まっていたのはニードルバルブあたりで、オーバーフローした結果クランクケースにガソリンが溜まり、プラグがかぶって発火せず、マフラーに大量にガソリンが流れていって入口出口を塞いだ状態だったようだ。
しかしそんなことになるのか2ストは。
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マフラーを外すと中からどす黒いガソリンが溢れ出し、とにかくそれを捨てて干しておく。
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キャブは念入りに掃除して、オーバーフロー対策で液面も調整しておいた。
ニードルバルブは余裕ができたら交換しなければ。

クランクケースに溜まったガソリンは、マフラーを外した状態で、もちろんタンクも外してキックし続けて排出した。
出てくる量が減ってきたので、試しにその状態でスイッチを入れてキックを踏むとエンジンがかかった。バリバリバリ!
キャブの中は空っぽのはずなのに1分ほど回り続けた後、止まった。オカルトっぽかったけど多分クランクケースに残っていた生ガスがクランキングで気化して回っていたのかもしれない。
とにかく久しぶりにエンジンがかかってほっとした。

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というわけで、やっと今日味わって乗れたというお話。

4月から新たにスタートする写真茶話会RRの参加者を募集します。
2015年度の参加者で継続される方、新規で参加を希望される方はメールかお問い合わせフォームで申し込みください。
一応定員は7〜8名と考えています。(応募者多数の場合は先着順とさせていただきます。)
講座についての詳細は「教室のご案内」もしくはブログの「写真茶話会」カテゴリーをご覧いただき、参考にしてください。

まずは4月24日(日)にオリエンテーションをします。そこで今年の内容についてお話ししますので、それを聞いていただき最終参加の判断をしてください。
講座の本編は5月の茶話会からスタートです。
今年のテーマは「わたしは語る」

ご応募お待ちしております。

もっと走れば話すと同じ

バッチリ仕上がったSRXでツーリングに行ってきた。
メンバーはラッキーさんともうすぐ卒業の訓練校の教え子たち。
天気は良かったんだけど、やまなみロードと月ヶ瀬〜柳生〜長谷寺のコースは予想以上に寒くて体ガチガチ。
アクセルを開けたいのにコーナーでの柔軟性がなくて曲がりきれず、スピードが乗らない。
こんなときはゆっくり落ち着いて走るべきなんだろうけど、仕上がったSRXを試したいのと、若手のSPADAが意外と速くてつい前へ前へと気分だけ上がってしまって。
あと三日で卒業してしまう彼らと走ることも当分ないのかと思うと。
バイク好きの先生と言いながら、彼らと走る機会がほとんどなかったのだから名乗る資格なしだな。
一年という短い付き合いしかないのに一緒に走らないなら、そもそもそんな先生いないのと一緒だ。
バイク乗りとは乗らないと息が詰まってしまう人のことで、そんなになるまで乗らないなんてことがないのが当たり前なんだけど、もし乗れなくてもその息苦しさが感じられないのなら、多分楽しさなんて共有できないんだろう。

ツーリングはやっぱり楽しさを共有しないとね。
あー、寒さは共有したよな。バイクの場合、辛いことも共有すると楽しいからなあ。

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2016RR展最終日-1
2016RR展が今日で最終日だった。
今回SIGNの近所のギャラリーだったのがいろんな意味で良かったと思う。
しかもギャラリーもカフェも素晴らしい設備で、今後の展覧会はここでやることを前提に考えていきたいと思った。
また、今年中にSIGN自体も少し模様替えしようと考えていて、今回のギャラリーの壁面では展示できなかった大型の作品も展示できるように、SIGNの南側の壁を作品展示できる壁面にするつもり。
そうすれば、QuadrifoglioとSIGNの2箇所開催というちょっと面白いことになりそう。
展示スペースが増え、住み分けが出来るなら、招待作品も展示したりと。
そんなふうに思いが膨らむのも今回のRR展に手応えがあったからかもしれないが、つまり写真に楽しまれているのかと思ったり。

2016RR展最終日-2
写真専門学校の教え子が見にきてくれて、SIGNでベスパに乗って遊んだりしていて、QuadrifoglioとSIGNを結ぶ坂道を行ったり来たりしていてふと思いついたことだった。
彼は今大阪で、同期だった浅田たちとグループ展をしている。それもアイデアのきっかけ。

2016RR展最終日-3
こんな方も見にきてくれた。
颯爽と現れた真っ赤なVIVIOスーパーチャージャーは現在走行距離30万kmを超え、まだまだ元気。もちろんマニュアルシフトだ。
実は彼女のVIVIOに触発されて我がLOVESUMBARもスーチャー付きで、20万kmオーバーを目指している。

2016RR展最終日-4
そして、嬉しいことにギャラリーオーナーから今回の写真展がすごくよかったので、次の展覧会が開催されるまで引き続き展示しておいて欲しいと言われ、壁面展示の作品のみRR展は続行することになった。
今回都合がつかなくて来れなかった方も、定休日以外は見ることができるので、ぜひQuadrifoglio CAFFEへ。
(motoSIGNのついでにという手もありますよ)

RR展の作品展示は

いよいよ明日からRR展が始まる。

今日は朝から作品の搬入と展示作業をした。
今回ついに作品展を最終目標とする写真茶話会として、レーザー水準器を導入!やはりこれがあると位置決めが楽で、しかも精度が高い。
レイアウトもイメージ通りで、とても綺麗な展示ができた。
壁面の飾られた作品は、そこにあるからこそ命が吹き込まれたように輝き出す。
見せるところまでやってこそのRRだから、半分以上は参加者のみなさんに自分の作品の完成した姿を見てもらうことだと思っている。
そしてすべての作品がトータルで編み上げられたものとして完成しているかどうか。
この展覧会をたくさんの人にも見てもらいたい。

展示が終わってから大阪へ。
写真専門学校時代の教え子たちがやっているグループ展と、そのうちの一人がやっているカフェに。
彼らに会うとなんか落ち着く。美味しいエスプレッソと料理のお店は長居公園の北にあり、また今度バイクで行ってみよう。
その後茶話会卒業生の松野さんの個展に行ってと、朝からずっとがっつり写真モードだった。今は頭は朦朧として夢を見ていたみたい。
帰るとギャラリーに明かりがついていて。
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RR展、一週間前

2016RR展レイアウトを考える-
2016RR展の展示作品が仕上がってきた。
実際の大きさに引き伸ばしたプリントは、作品研究のときの小さなプリントとは違って迫力が増す。
こうしてテーブルに並べているだけでも、今回の写真展の手応えを感じる。いいかも。
いや、それどころじゃない。今回のテーマについて「写真を楽しむのではなく…」とうたっているように、ただ楽しんでしまった結果ではない作品になってきている。
今の写真表現の世界を見渡してみても、内容的にはかなりレベルの高い写真展であるように思う。
しかしそうなった理由としては、写真茶話会というアマチュア向けの写真講座に偶然集まった人たちが、ただ日々撮りためたものでしかなく、それはまさに予測不可能な偶然だったのかもしれない。そこに原石を見出し、削り出していくのが僕の作業だった。
そしてそれらは一つのギャラリーでの展覧会として、ひとつの作品になって完成するという、このドキドキは今このレイアウトを考える作業の楽しみとも言える。
編み上げてみせる、写真を楽しませるために。
2016RR展レイアウトを考える2

2016 写真茶話会RR展のDM

DMできました。写真は花火師の喜田真史さんの写真です。
2016-写真茶話会RR-DM
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昨日、ラッキーさんから突然ツーリングのお誘いがあった。
最近motoSIGNに来客はなく、独りでバイクをいじるか子どもたちの相手をするかだったから、この寒さや子守を言い訳にして気持ちを抑えていた僕の堰はラッキーさんの一言で崩れていった。
気になるオイル上がりとセッティングもまだ完璧とは言えないSRXだった。だけど、走りたいよやっぱり。
バイクに乗れない休日なんて休日じゃない、ということは僕はぜんぜん休んでない。働きっぱなしだ。なんだそれ。どれだけ勤勉なんだばかばかしい。
堰を超え湧き上がりそびえ立つ欲求。
「ラッキーさんと飯食いに行ってくる」とだけ言って家を出た。

そういうわけだからよろしくな、SRX。一日頑張って走ってくれよ。

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とにかく走り回りたいだけだから、コースは快走できる半日コースとして、以前走った吉野〜東吉野〜松阪〜榛原ぐるっと一周にした。
本当はその前に明日香経由の吉野も入れて、独りで走るなら4時間くらいのコースのつもりだった。今日は車が多くてなかなか街を出られず明日香を省いたのだが、読みは逆だった。田舎道でもメインルートは渋滞が多く、吉野までにかなりのロスをしてしまった。
これなら明日香を入れとけばよかった。

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東吉野から峠を越えて松阪市に入り、そこからの快走コースは信号もなく道幅広く交通量も少ない。寒さがなければいつまででも走っていたいと思った。
快晴で春の陽気とはいえ、やはり山の中の日の当たらないところには雪が残っていて凍結しているところもあった。
手足が冷え切って危なくなり、昼休憩で道の駅に入った。
道の駅「飯高」の駐輪場にはたくさんのバイクが止まっていた。最近の流行りのスポーツバイクがほとんどだったが、カブの集団もいたりして。そこへSRとSRXでガーンとど真ん中へ駐車。しかしあまりの目立たなさがおかしかった。最近のバイクと比較すると地味だねー。音も二人ともノーマルマフラーだから目立たねー。
でもそれだけに珍しいのが入ってきたと一瞬注目は集めていたけど、さあーっと引いてく好奇心たち。はっはっは飯にしましょ。

道の駅のレストランは順番待ちの行列。そこからさらに奥のはずれにある地元の喫茶に入ると、なんと500円ワンコインランチ!レストランはうどんでも700円!
ラッキーさんと「これだっ」と迷わず注文した。これがまたよく煮込まれ味のしみた大根と豚肉、きのこにごぼうが入った味噌味の汁にお好みでおろし生姜を溶き加え、冷えた体にたまらない旨さだった。そして食後のコーヒーまでついて500円!
このランチを食いに来たんだ。そうだ言い訳じゃないぞ。

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そこからまた少し東へ行ったところで国道168から368に入る。木漏れ日が縞模様の絨毯になっている細い林道を抜けると、また快走コースとなる。
鈍っていた体が次第にバイクに慣れてくると、待ち望んだあの感覚が訪れる。
バイクを運転するのは感覚を残して自動化し、意識は深いところに触手を伸ばしていく。
触れたその先はある感情だった。

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新しいものへの期待、その期待は今あるものを手薄にさせる、それに対する申し訳なさ、引き止めたい、祝福して送り出したい。
何かが始まることと、終わりなく今が続くことを同時に願っている。

なんだ、やっぱり仕事のことか。

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家が近くなると日が傾いてきた。結局一日走ってしまった。走れてよかった。
行きに寄ったスタンドに帰りも寄った。ほぼ満タン消費コースというわけか。いいね。
ラッキーさんは「そろそろいい時間になったのでこのまま帰る」と言って、うちには寄らずこの後別れた。

W1SA

こちらもシェアさせていただきました。PCの方はぜひHDでご覧ください。

KAWASAKI W1SA、なつかしい。
学生時代、VF750Fの次がこれでした。
卒業後も数年所有してたけど、大阪に残したまま島根で仕事してたりして結局あまり乗れなくて。
新聞社に入った時にこいつを手放したのを境に8年くらいバイクのない生活が始まるわけです。

せっかく出会ったのに味わえてないなあ。
なんかもう一度乗りたくなってきた。
もうまともなのはないだろうなぁ。45年も前のバイクだし。

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